78.またまた続きの続き

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※ 「68.何となく前回の続き」の続きです

マスターが戻って来ないので客が騒ぎ出した。
「マスター、遅いな」
「本当にビールの樽、取りに行ったの?」
「帰っちゃったんじゃないの?」
カウンターに座った狐を誰も気にしない。
「マスターが樽を取りに行くの見た人いるの?」
窓際の席に座った客が手を上げた。
私見ましたよ」
客達はざわついた。と言うのも、答えた客が初めてらしく誰も知らないようだからだ。
「あの客が見たってよ?」
「こほん。きゅん」
カウンターの狐が咳をする。
「あ」
「そういや、狐がいたんだ」
店の客の視線が狐に集まっても、狐は気にせず前を向いている。後ろを向けば、客の全員が狐に注目してるのが判るはずで、教えてあげたいが狐言葉が判らない。それとも全員が見てることは知ってるけど、今更皆の顔を見たくないのかも知れない。
「なんで狐がいるのかしらね?」
窓際に座った女性客が言う。
「お客さん、この店初めて?」
壁際に座っている、太った客が遠くから声を掛けた。女性客は頷いている。
「この狐は、この店が開いた頃から出入りしてるんだ」
「へぇ!」
「それは有名よね」
狐は知らん顔をしている。まあ言葉が判らないなら当然ではあるが。
「あたしも聞いたことある」
「店をオープンする前、近所の神社にお参りに行ったら、そこにいた狐がマスターの後をついて来たんだって。氏神さんの狐だから、ついて来のは縁起がいいって言われて、そのままにしてるらしい」
「本当なの? 城柳さん」
「ああ、俺もマスターから聞いたことがある」
「マスターも狐だから通じてるらしいよ」
「そうか!」
マスターが狐ってどう言うこと!?
「狐のマスターが、神社の狐について来られたんだ」
「だから追い払いもしないで、店にいさせてるって訳?」
「狐がいればネズミとか入ってこないだろうね」
「本当なの? ゲンチ?」
「ゲンチ?」
「この人は下村源一って言うの。ゲンイチって呼んでたら、短いゲンチになっちゃったのよ」
ニックネームのことは構わんが、狐の件はどうなった?

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ガチャ! 店のドアが開いて雪を伴った風が吹き込んで来た。
「いやー! 凄く積もっちゃったね!」
「マスター。どこに行ってたのさ?」
「あ、マスター」
ゴロン、ゴロン。新しいビールの樽を転がしながら戻って来たマスターに、皆の視線が集中している。常連客は誰も一言も発せずに順番待ちの状態だ。沈黙の力に圧倒されたのか、店内を見回したマスターは手を抜いて全員に挨拶した。
「いや、新しいビールの樽、取りに行ってたのよ。皆さん、いらっしゃい」
客達は別にマスターに用があった訳ではなく、単に夕方になったから常連客としての務めを果たしに来店しただけだったので、返事をする者はおらず、通常の、店が開いた時の雰囲気に戻った。
「そう言やさ、城柳さんさ、こないだ言ってたお守り。これさね」
下村さんはバッグから小さな紙袋を取り出した。
「あ、ありがとう。これか」
城柳さんは千円払い、赤い字でお寺名が印刷された紙袋を開けた。
「お守り!?」
田代さんが言う。
「ゲンチから下の清浄寺のお守りがいい、って聞いたんで、買って来て貰ったんだ」
城柳さんが紙袋から取り出したお守りは、金属製の狐型しおりだ。
「へぇ面白い」
「『イツギ』って名前なんだって」
「『イツギ』? かっこいい!」
 金色の狐が登場する「東多魔川鉄道物語」はこちら >>
「ご利益があるらしいよ」

77.日本的な言い回しを考える

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インターネットで一時、話題になった、英語など他の外国語にない日本語の表現、「口寂しい」。何か食べたいんだけどまともに食事するんじゃなくて、ちょっと口に入れたい。何となく足りなくて口が寂しい思いをしている。間食のいい理由になります。他の外国語の表現にはないみたいで、隙間を埋める表現を持つ日本語みたいな話になっていました。そんな表現を探してみました。

口直し
食べたものが合わなくて味が残ってる。いつもの、おいしいもので口を静めたい。
「さあさあ、お口直しに、ひとついかが?」
「おっ、これは済まんな」
「有り難い」
しかしだ。何故、口直しをしなければならなくなったのだろうか。
思惑とは違うものを食べなければならなくなったから口直しが必要になる、と言うことは、口直しをする原因となった「口荒らぶる」こと、とでも言うべきことがありそうです。何だろう。会食に『煮干し入り、いちご大福カレー』でも出たのだろうか。
また、口直しが提供されるためには、口直しを用意出来る環境がなければならない。口に合わない食べ物を食べさせられることになり、口内がいつもの味でないもので充たされることが予想出来たので、それを復旧出来る環境を提供しておいた。結構面倒な展開だなぁ。口直しを提供する女将さんは、割烹着を着て頭に白い手拭いを巻いて、ゆるキャラコンテストの、ゴワさんを思い出します。
 ゴワさんの登場する「用水路のナンタス」は「電柱人」の中の作品 こちらへ >>

口移し
寝たきりで動けない人に薬を飲ませたり、奥義を口で伝えることを言うんですよね。なんだかキスの延長に思ってる人が多いみたいでした。 それなら、違うパターンで「焼き鳥の口移し大会」とか「讃岐うどん早喰い口移し大会(カレーうどんあり)」なんてどうだろう。「タバスコの口移し」や「ハバネロの口移し」は多くの犠牲が出そうだし、「チューブニンニクの口移し」は拷問だろうなぁ。「荒挽きブラック・ぺッパーの口移し」でくしゃみをすると、作業が中断します。「ホワイト・ペッパーの口移し」でも同じか。

口封じ
喋られると困るので喋りそうな人を止める。ミステリで殺人の理由によく使われます。
大人になれば一つや二つ喋られては困ることがあるのですが、端から見ると大したことではなかったりする。寝冷えし易いから、大きくなってもお腹にタオルを撒いて寝るところを合宿で見られて困り、口封じが必要になったケースが考えられます。口を塞ぐだけなら、昼ご飯の残りのお握りや、合宿地で買った温泉饅頭を押し込んでやれば喋れなくなる。口封じの代わりにご馳走するとお代わりをねだられます。口止めってのも同じ意味だな。

口は災いの元
どうも口は悪者の代表になっているようで、「口火を切る」って言い方などもそうだけど、鉄砲みたいなところもある。切った口火は燃え盛り、次の材料に燃え移り天を焦がす程の炎が上がって、大江戸は火の海になってしまった。

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ここからは存在しない表現。

口賑やか(くちにぎやか)
ありそうな言い回し、口賑やか。ミックスピザと、一緒に大王イカのパエリヤと、センザンコウのアイスクリームを食べるとか、普段は食べないような和食ではない感じの物をたくさん食べること。テーブルに並べるのではなく、口の中に詰め込んで食べる必要がある。口直しでこれをやると食べ過ぎてお腹を壊すでしょう。

口守り(くち・まもり)
余計なことを喋らせないよう、口が災いの元とならぬよう、守衛さんの役割をしてくれる小さい門番。口の周りを守ってくれる一寸法師みたなやつと思えばいい。
お酒を一合も呑むと、酔っ払って口が回らなくなり、門番の役目を果たさなくなります。
「おい。くちまもり」
「あたしは、くちもまりじゃない! うーい、ひっく」
「そんなこと、言ってないだろ。くちまもり」
「くまちもり、でも、くもちまり、でも、なぁい! 文句あるか!」
「くまもちり、が抜けてる」
「あーははは。そうかい、忘れたかや?」
「口守(こうしゅ)じゃだめか?」
「『災い避けのコーシュ』って、ロシアのお話に出てくるのみたいだね」

76.桜の「ゆ」と梅の「の」

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風に吹かれて桜の花びらが窓から入って来た。直径 1cm にも満たない小さな花びらだ。
出窓の上、メモ用紙の上に置いて細いサインペンで「ゆ」と書き、風で飛んで仕舞わないように出窓を締めた。浮き上がっていたカーテンが力をなくして垂れ下がる。カーテンの白、テーブルの柾目とメモ用紙のコントラストが気持ち善い。出窓が開いていた時の、水の匂いに混じった少し重めの風の匂いが軽くなり、目に映る色味も変わった。テーブルの上のクリーム色のメモ用紙と桜の花びら、そして少し滲んだサインペンの「ゆ」の文字に周りの雰囲気も変わった。
「どうするの?」
出窓のカーテンの匂いを嗅いでいた猫のクレディズが来て言う。
「そうだね」
まだ寒いからなぁ、と決めかねている私に答える資格はない。
手を伸ばしたところにある引き出しには、「の」の字を記した梅の花びらが入っている。この間書いて、春風に乗せるタイミングを見計らっていたら、寒い日が続いてそのままになっていたのを早く使えとクレディズは言ってるのだ。
「色の雰囲気が暖かめに変わったから、外の雰囲気に合わないよね」
「花びら飛ばしには暖かくていいじゃん」
不満そうなクレディズ。華やかな桜色の花びらで、土や植木の葉っぱの緑、水色系の雰囲気には合わない。
彼の猫は日向で飛ばした花びらが、暖かい風に乗って庭の端から端まで飛んで行くところを追いかけて行って、物置の前で掴まえるのが好きなのだ。陽気がよくなって、外で花びらを追いかける楽しみをしたくて、うずうずしているに違いない。
私は外の雰囲気がまだ暖かくないからと、それを断る程の自分都合は持ち合わせていないけど、午前中は寒いんだよね。塀で遮られてるから庭に日は差し込まないし、暖かくなるのは昼過ぎ。その時間、クレディズはお昼寝してるじゃん。
高崎駅のフードコートを思い出した。喫茶店の厨房に入る脇に積まれた段ボール箱。レタス、ニンジンが箱から覗き、表の段ボールにどこで付いたか桜の花びらが数枚。室内の暖かさで乾いたのか、2 枚ほど捲れあがっていた。ほら、あるだろう。貼りついていた花びらが乾いて丸く盛り上がっていることって。その周りの段ボールはところどころ湿って色が濃くなっているのだけれど、店の換気扇から放り出される暖気がちょうど当り、花びらを中心に乾き始めている。

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「よしっ」
私は引き出しを開けて、梅の花びらの入ったピルケースを出した。花びらの「の」の字はそのままだ。ピルケースの蓋を開けてさっき「ゆ」の字を書いた桜の花びらを入れて、それに気付いたクレディズはもう待ち切れない。猫と言うよりまるで小犬だな。
階段を下りて玄関から外を回って庭に行く。クレディズもついて来たので、庭に入れるように木戸を開けたままにしてやると、庭に置きっ放しのテーブルまで早足で行って待ち構えて、早く花びらを風に乗せろと待っている。
風が吹いた。桜から花びらが数枚散って、庭の端、物置まで飛んで行った。クレディズが追いかけるかと思ったら、知らん顔して座っている。「ゆ」の字が書いてないことを一瞬で感じ取ったのだろう。さあっと吹いて力を抜いたが風は止んでいない。私はピルケースを開けて花びらを放り出した。クレディズが脱兎のごとく走り出す。子犬になったり兎になったり忙しいやつ。
追いかけて行ってクレディズは物置の前で花びらを掴まえたようだ。鼻の上に「の」と書いたちっちゃな花びらを貼り付け満足そう。
クレディズはゆっくり戻って来た。
「今度、他にある丸い感じの字を書いて。それに、僕も字を読みたいから教えて」
だってさ。飛ばす花びらに書く字を調べるからと、日向でひらがなの本を読む猫は珍しい。
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