32.見なかったことにしよう、聞かなかったことにしよう

電子書籍を書いています、楠田文人です。新刊が増えました。
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バンドで演奏している人なら判ると思いますが、ドラムセットにはスネアドラム、タムタム、バスタム、バスドラムハイハット、クラッシュシンバルなどがあります。スネアドラムは真ん中に置かれ、マーチングバンドの小タイコと同じもので裏側に何本もの響き線が張ってあります(スナッピーと言うそうです)。叩いた時に響き腺が振動して独特のスタン! と言う音を鳴らします。張ってないと表面の皮だけの、トン! って言う音になります。スネアドラムらしくない。響き線はスネアドラムの胴の横にあるレバーで張ったり緩めたりできます。
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響き線を張っていると、叩かなくてもスタジオやステージのベース、マイクの声など他の音に共鳴して、線だけ振動して音を出します。ギターの音は余り共鳴しないですね。低音が含まれていると共鳴する。自分が叩いてないのに響き線だけ鳴りますからドラマーの方はそれが嫌で、叩かない時はレバーを倒して張りを緩める。

ところが!

曲によってはイントロ部分にスネアドラムが入る曲があります。合せのフレーズだったりおかずだったり、イントロなので響き線が張ってないとスネアの音じゃなくてドラムらしくない。小太鼓の音ですね。これまでに 2 回経験しました。
最初は「深大寺線物語」他に登場する小石刑事(登場人物)、彼は若くして亡くなった友人の医者がモデルで、彼の病院関係者が追悼コンサートを開き、私もバンドで参加することになり、その時の最初の曲が Bad Companny の「Can't Get Enough」。
 Can't Get Enough はこちら >>
イントロでカウント 7 つの後「カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、ドタン!」とバスドラムとスネアドラムが入るのですが、この「タン!」が響き線のレバーを外したのを忘れたスネアドラムの音だった。ドラム君、私が演奏前に挨拶を述べている間、静かにしようと思ったんでしょうね。慌ててレバー上げてましたが、見なかったことにしようと思いました。

 深大寺線物語はこちら >>

次はジャズのライブで、ジョー・ザヴィヌルキャノンボール・アダレイ・クィンテッと)の「Mercy Mercy Mercy」のイントロ。この曲はエレキピアノからゆっくり入って、ドラムのおかずが入ってサックスとベースが入る、と言うパターンにしました。色々なバージョンを聞いて、ジョー・ザヴィヌュルの古いライヴの雰囲気にしようと。速くならないようにすれば、ベースはジャコ・パストゥリアスの 16 ビートっぽいフレーズも入れられると楽しみにしていました。
エレキピアノのイントロが入り、ドラムのおかずが、あ! 「タンタン、タタタン」とレバーが上がっていないスネアの音。会場が小さいので客の声が大きくて響き線に響く ので上げるとを忘れていたんですね。聞かなかったことにしました。
 Mercy Mercy Mercy はこちら >>

別にドラムに悪意がある訳ではありませんが、他にも演奏中にスティックを落として、カラン、カランと音を立てたり、折ったり、足が攣ったりってのは見ています。

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色々なドラマーと演奏したけど、一番凄いと思ったのは、イントロのカウントと曲のテンポがまったく違うドラム氏。普通「ワン、ツー、スリー」などスティックを鳴らしてドラムが取りますが、そのドラム氏、最初のカウントを曲が始まるための合図と考えていたようでした。聞かなかったことにしよう。

31.マルワの女

「マルワの女? 何だそりゃ」
「隠語さ」
「淫語? やらしいのか?」
「そっちの淫語じゃないよ。符牒って言ったっけかな、マル暴って知ってる?」
「警察用語で暴力団のことだよね?」
「そうそう! それを隠語って言うんだ」
「ああ、判った。マルサとかだよな」
「知ってるじゃん。マルサは国税庁査察局。マル走は暴走族」
「ふうん」
「マル害は被害者。害者とも言う」
「警察ってマルの付いた隠語が多いんだね。でもさ、知られたら隠語じゃなくなっちゃうじゃん?」
「テレビドラマで使ってるしなぁ」
「そのうち隠語じゃなくて正式名称になるぞ」
「俺も作ってみた」
「それがさっきのマルワの女?」
「そう。ワンピースを着た女のこと」
「使えそうだね! バレそうな気もするな」
「バレるかなぁ? マルジ、マルス、マルイ」
「うーんと、ジーパンを履いた女、スカートを履いた女、丸井にいた女?」
「マルイは、犬を連れた女」
「女ばかりだな。何か違う気がする」
「違うって?」
「判った! マルサも本来はマル査だろ? マルの後の字は漢字で、訓読みじゃなくて音読みになるんだ」
「…」
「マル走(はしり)じゃなくて、マル走(そう)。マル暴、マル害。だから隠語っぽくなる。さっきの、マルジ、マルス、マルイはそう言うパターンじゃない」
「成る程」
「マル体(たい)、マル場(じょう)、マル生(せい)なんか隠語っぽい」
「どう言う意味?」
「意味ないよ。適当に繋げただけ」

マル生は困っていた。マル場がマル草に侵食され始めたのだ。
「結構マル掃してるのにな。ここんとこ暑かったからマル増したのか」
マル生はマル草を取り除くのにマル水を放射しようと思った。マル管をマル口に繋ぎ、そこからまる水を引っ張って来ればいい。
マル生はマル口が並んだマル場に行きマル扉を開けた。
「あっ!」
何と、マル口も既にマル草に覆われているではないか。
「もしかして!?」
マル生はマル廊を走ってマル室に駆け込んだ。既にマル草が繁殖してマル器類にはマル草が絡み付いている。
マル生は、マル器の中央グローバル・インバータ部分に供えられたスイッチ類を点検した。ここにもマル草が絡み付いていて、小さなスイッチ類は動きが悪くなっていた。
「まずいぞ。これで地域緊張周波数がマルったら・・・」
 ※ 地域緊張周波数は「緊張」に登場します
マル生はガラス窓から外を眺めた。隣のマル屋は穏やかな夕焼けを映している。
「おっ!」
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「マルを付けても、結構お話らしくなるんだな」
「名称と考えればいい」
「そもそも、何で隠語に『マル』が付いたんだ?」
「丸で知らん」

30.「本末転倒」と「風が拭くと桶屋が儲かる」の関係

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ここで言う本末とは「本:元の話」と「末:枝葉の話」のことで、それが逆になると言う意味です。 例えば、夏休みの宿題をするに当たって、スケジュールを作ろうと考えた。

・スケジュールを普通のノートに書いてみたが見辛い
・大きな模造紙を買って来て、そこにスケジュールを書いて壁に貼った
・今度は大きすぎて休みの最初と最後を一目で見られない
・もう一枚模造紙を買って来て
 横にして二つ折りにする
 横長になった模造紙を半分に折って横 B4 にする
 それぞれ外側に折り返すと、縦 B5 の蛇腹になる
 開くと横に四ページ繋がった紙が出来た

これなら一週間を一ページに書けばいいし、宿題以外の遊ぶ予定は全体を裏返して書けばいい。模造紙だから鉛筆、マジック、ペン、何でも書ける。ノートにマジックじゃ書けないし。難点は紙の厚さがあって嵩張ること。
そうだ! 最初から横半分に折って切ってしまえば、無駄がなくなって倍に使えるんじゃないだろうか。
早速横半分に切ってみた。厚みもちょうどいい感じだ。倍になったページを何に使おう。二つに増えたけど宿題の予定と遊びの予定は充分あるし。切った時に少しずれて上に飛び出したページがみっともなく思えてきれいに切った。これでよし。これを入れるケースは何がいいだろう。アクリルの薄いやつかな。
とまあ、こう言うのが宿題のスケジュールを作るところから、スケジュール表作りに熱中してしまうパターン。似たような経験、ありますよね。
「風が拭くと桶屋が儲かる」の場合は

・風が吹くと埃が舞い上がる
・埃が目に入って盲が増える
・盲は三味線を演奏して金を稼ぐ
・三味線は猫の皮を使うので猫が減る
・猫が減ると鼠が増えて桶をかじる
・桶が使えなくなって桶屋が儲かる

のだそうです。本末転倒とは違うけれど、同じような連想の上に成り立っています。
一つのことから、関連する別のことに興味が行ってしまい、今度はそちらに思考が集中してしまう。結果的として本末転倒になったり桶屋が儲かったりするけど、同じ頭の使い方に則っている。非線形思考と言うか人間の思考方法です。思いつきなんてその極致だし。
お話を書くのも似ている。筋とか構成を決めてあっても、途中で違う方向に行っちゃうことがあったり、別の人が犯人になったりする。
登場人物が喋る時は、頭の中でその登場人物に成り切っていて喋ります。他の登場人物が出て二人とかで喋る場合は、その都度頭の中は別の人になります。多重人格ではないのでご心配無用です。喋る内容を考えてあっても流れで別の話になっちゃうこともあり、話が別の方向に行ってしまって筋そのものを変更したこともあります。

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「Butterfly Effect」はご存じでしょうか。アマゾンの一匹の蝶の羽ばたきによる空気の揺れが、結果としてバングラデシュで台風を起こす、と言うもので、カオス理論の例としてよく取り上げられます。カオス理論では、初期値によって結果がまるきり変わるため、コンピュータ解析が無理とか。アマゾンの蝶の羽ばたきから、台風の代わりに北極の氷山が融けて海に落ちることもあるのでしょう。渋谷のスクランブル交差点の人の動きなどもそうでしょうね。中の一人がどのような動きをするか予測出来ない。
本末転倒の例で「夏休みのスケジュール表を作る」を「宿題は最後の一週間で仕上げる」にすれば、スケジュール表は作らないことになり、初期値が変わると結果が変わるこれも一種のカオスかも。
「夕方新橋の駅で友人と出会ってしまったことによる二日酔いの発生」なども、同じに違いない。