57.相手を互角と思う時

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「あいつは俺と互角だ」「戦ったけど互角でしたね」
時々聞く言葉ですね。スポーツや将棋・碁など対戦で、相手の力量を測る言葉です。なんで「角」の字があるの?
調べてみました。どうやら闘牛のような牛の戦いから来ているらしい。「互角・牛角」で「ごかく」と読んだ。焼肉屋ではありません。
角の大きさが同じならば持つ力も同じくらいだろう、と言う意味でしょうか。牛同士は図体が大きいにも拘わらず角で戦うから、角に力が集中してると思ったのかも。ヘラジカなんて角に力を集中させてしまったの重すぎて実は結構疲れているのです。
体が大きければ角が大きいと考えるのは客観的判断と言えないこともないけど、それを技の世界に広げているのは、ちょと飛躍かも知れない。
剣を一瞬交えただけで
「うぬ。やつは、俺と互角か」
とか、判るんだろうか。互角の理論から言えば、大きな剣を持った方が力が強いことになるから、見ただけで判るんじゃないの。
 剣を交える話「猫と武蔵と小次郎と」はこちら >>
例えば剣道の試合なら同じ段同士で試合をするので、相手の力は狭い範囲になる。初めて対戦する訳じゃなくて、何度か試合をして勝ったり負けたりしてるでしょう。面を取りに行けば、こいつの癖から左に避けて小手を打って来るだろう、そこをすかさず横に飛んで…、とか予想できるだろうし、思わぬ反撃があっても対応できるけど、無差別対戦の場合はそれができない。
街中の喧嘩がそうですね。やたら強い奴にチンピラが向かって行って、あっと言う間に二人とも倒されて仕舞った、なんてのは相手の力が見切りができなかった場合。
しかし…、何をもって「互角」と思うんでしょうね。

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端から見るのと、試合する本人同士では互角の捉え方が違う。技を避けたのを見て力が互角と思っても、実は難なく避けてたり。
以前、剣道のかなり高段者同士の試合で、二人共睨み合ったまま微動だにしない、と言うのがありました。本人の頭の中では、ああすればこう来る、こうすればこうなる、ってのが飛び交っていたので動けなかったんでしょう。実際は対戦者が相対したままで見てる分にはつまらない。
同じような二人が多いと、試合会場では睨み合ったまま勝負がつかないケースだらけになってしまいます。何の大会だか判らんぞ。

56.映像に合った BGM

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新しいハリウッドゴジラ「King Of Monsters」が公開されました。この手の映画では恒例となった批評や文句が絶えませんが、観客としては怪獣が出っ放しでずっと戦ってるのが希望の気がする。面白いなと思ったのが BGM。怪獣が現れるシーンのバックで、ドビュッシーの「月の光」が流れています(予告編です)。クラシックと怪獣映画ってのは面白い組み合わせです。小さな音じゃなくて、音源ボリュームを大きくすることで、かなり効果的な印象を与えることが出来ると思います。
ゴジラ映画の BGM と言えば、登場感のある伊福部昭の音楽で有名になりました。登場を盛り上げる効果音的な使われ方もしています。
 ゴジラの BGM はこちら >> 
まーしかし、ゴジラくらいになると、バックで何が流れても不思議ではありません。使い方によるだろうけど、クラシックだろうがロックだろうが、現代音楽だろうか、何でも合いそうです。ただ、必ず街を破壊しながら進む騒音が入るので、それでも大丈夫なバックになりますので、三味線ゴジラはだめですけどね。
映画やビデオなどで、映像と音楽の印象における割合は 7:3 だとか。映像が 7。それだけ音楽はおまけになってるらしい。確かに、あの映画のあのシーンのバックにどんな音楽が流れていた? って聞かれると、覚えていない。映像はすぐ蘇って来ても音楽は思い出せない。
逆に、音楽と映像がマッチしている映画と言えばミュージカルです。当たり前ですが。「サウンド・オブ・ミュージック」「マイ・フェア・レディ」など、曲が流れるとそのシーンが思い浮かびます。ブルース・ブラザースで、ブルーズ・モービル(よーするに中古のパトカー)をジェイクにけなされたエルウッドが腹を立て、跳ね上げ橋を飛び越えるシーンのバックは「Can't Turn Your Loose」でした。キャリー・フィッシャーが二人のアパートにロケット弾を打ち込んだ時のバックは、「ピーター・ガンのテーマ」でした、って、結構覚えてるな。多分、BGM ではなく曲として聞いてたんだろうと思います。

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「ピーター・ガンのテーマ」はブルーノートだらけの曲で、テーマ自体セブンスの音から入ります。この入り方はジェフ・ベックの「Rock Me Baby」のソロと同じだな。面白いもので、ジェフ・ベックジミー・ペイジの弾くフレーズには、ブルーノートの中にもイギリス古来の音階が出て来ることがあります。レッド・ツェッペリンの 3、4 枚目以降がそうですね。クラプトンの演奏はブルーノート中心で他の音階はあまり混じらない。プレーヤーの癖なんでしょうか。

55.時代劇を書くのは心の入れ替えが必要

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お話を書き始めた頃は、時代劇を書くとは思ってもいませんでした。時代劇と言っても舞台が二、三百年前ってくらいですが。
右手から毒を出すことの出来る、月龍のお話です。
 「月龍」シリーズはこちら >>
宮木武蔵と佐々本小次郎と言う二人の剣士が登場するお話です。そして謎の猫も登場します。
 「猫と武蔵と小次郎と」はこちら >>
書いてみて、時代劇は設定が自由なことに気付きました。現代が舞台だと交通手段、通信手段は決まっているし、誰もが仕事に行かなければならないし、家は一人暮らしか家族と一緒かなど、設定(制約かも知れない)から逃れられることはできません。
「その男は、登山口に近い山小屋に一人で暮らしていた」
とかすると、そんなところでどうやって暮らしてたんだ、とか、何故一人で住んでいるんだろう仕事は何をしてるんだ、とか、何か理由があるに違いない、とか、登山口に近い山小屋って辺りが怪しい。そうだ! 誰かと約束して待ち続けているに違いない、とか、山で事件があって、その復讐のためにそこに住んでるんだ、とか、キャラクタが登場しただけで様々な憶測を呼び、話を進めるどころではありません。
これに対し、江戸時代だったら楽です。
「その男は、山を越えて隣村へに繋がる道のはずれに暮らしていた」
と言うだけで、何も問題になりません。もちろんその時代でも、そこにそうやって暮らしている理由はあるのでしょうけれど身近でないため、
「ふうん」
で終わってしまい、細かく突っ込まれることがないので楽です。
生まれてから大事にされて、走ったことのない殿が走り方を練習するお話「走殿」も書きました。時代劇の設定ではないけれど、「七道奇談」「七彩抄」とかにも時代劇みたいのを書いています。
 「走殿」はこちら >>
 「七道奇談」はこちら >>
 「七彩抄」はこちら >>

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ただ一つ手間なのは、登場人物が昔の喋り方で会話しなければならないため、常に頭をその時代に合わせて置かねばならないことがです。このブログでも書いた「きょう一日、さむらいをした」も少しずつ会話が古い感じになって行きますが、これも頭をそう言う方に持って行かなければいけない。道具類の名前も馴染みがないため、
「あの笠何ていうんだっけ。編み笠でいいのかなぁ」
とか、いちいち調べなければならない。インターネットのなかった時代の時代劇作家は膨大な資料が必要だったでしょうね。
時代を舞台にしたお話と、近未来を舞台にしたお話を同時に考えるのは無理で、かなり混乱することは保証します。