58.未来のわらべ歌

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夏らしい風が通り過ぎた後、白い服を着たわらべが歌を歌い出した。 

「上野発の 夜行列車 降りた時から~」

「おっ! わらべ歌を歌う、わらべだ!」
先生は人差し指を口の前に当て、喋ってもいない私に向かって静かにするよう合図をし、体を茂みに隠してわらべに近づいて行く。わらべは、手に持った白い紙を折りながら、歌を歌っている。
「先生。わらべ歌じゃないと思いますけど」
「わらべが歌っているから、わらべ歌だ。希少価値のわらべだ。捕獲するぞ」
先生はわらべ獲り網を握り締めた。先生は捕獲が下手だ。遠くから、ボール遊びをする子供達の声が聞こえる。
「ここら辺は北国じゃないし、近くに駅もないんですけど…」
「わらべが歌っていることが重要なのだ。それに手に持っているのは折り紙だ。折り紙遊びをしながら、わらべ歌を歌う。由緒正しいわらべだ」
先生は、わらべ獲り網の棒を両手で握り締めてそうっと歩いて行く。棒を持つ力を入れ過ぎだ。あれじゃまた失敗するぞ。足元のわらびを踏みそうになった。

最近「わらべ歌」を聞かなくなりました。子供が外で遊ばなくなったことや、遊びの内容がサッカーなどに変化したり、家でゲームするようになったなど、歌の入り込まない理由が色々と考えられます。
「わらべ歌」は「ずいずいずっころばし」「かごめ」「通りゃんせ」「たきび」などが知られています。小さい子供が遊びながら歌う歌で、リズムのはっきりした歌はのんびりとした遊びに合わないため、遊びを変更するか、歌を変更するか二つに一つを迫られます。サッカーしながら、わらべ歌を歌うと呼吸困難になることを、わらべ達は本能的に知っているのでしょう。
海外でぱっと思い浮かぶのは「マザーグース」ですね。「ロンドン橋」とか「ハンプティ ダンプティ」。前者はロンドン市でなく地方のロンドン橋のことだとか、ハンプティ ダンプティは茹で卵のことで、落ちて割れちゃったんだとか、古くて歌詞の意味が判らなくなっているせいか勝手な想像をかき立てられて、推理小説の題材で登場します。

 謎の歌を題材にした「天神様御諫め歌殺人事件」はこちら >>
 宝を隠した場所の歌を題材にした「いかりのにわとり くれんどうの鍵」はこちら >>

私は急いで録音機のスイッチを入れた。
(草原にわらべが一人でわらべ歌を歌うなんて、滅多にお目に掛かれない場面だと思わんか)
(先生。録音してますよ!)
(いかん、いかん)

「連絡船に乗り~」

青函連絡船青函トンネルになったんだよな。わらべはそれを知ってるのだろうか)
(先生。余計な心配はしない方がいいです)

「壊れそうな かごめ見付け 泣いていました」

(歌詞が違うぞ)
(凍えそうな、カモメ見詰めでしたよね)
(カモメ見付け、じゃなかったっけ?)
(一瞬、信用してしまいそうになりました)
(わらべ歌として歌っているのだから、商店街の大売り出しで流れてるのを聞いて覚えたに違いない)
(だから?)
(耳で聞いて歌を覚える、と言う、正しい伝承形態を取っている。やはり、わらべ歌に違いない)

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「あ~あ。湊銀座は 夏セ~ル…」

「あ?」
先生は感動して立ちすくんでいる。
「聞いたか!? わらべ歌は伝承される、典型的な例だ。今後、数百年に渡りこの歌詞が伝承され、その頃には何を歌っているのか不明になっているだろう」
「『湊銀座の夏セール』がずっと残るんですね?」
「お神輿セールとか、銀杏祭りとか、歳末セールも伝えられて行くことだろう。我々は歴史的瞬間に立ち会っているのだ」
「…」