22.庭に鰐、輪には二羽鶏がいる

目を疑った。森の中にこんなものがあろうとは想像だにしなかったからである。

ハイキングの途中で道に迷ってしまったのだ。山歩きの経験がないにも関わらず、突然現れた脇道を散策してみようと思ったのが間違いだった。たくさん枝道や分かれ道に出会い、楽しくなって好き放題に進むうちに、自分の元来た方向が判らなくなってしまった。まるで子供だと思いつつも既に手遅れだ。
「どうしよう…」
少し広い場所で考えた。空を見上げると薄曇り空にぼんやり太陽が見える。
「そうだ!」
太陽を頼りに元来た方角に戻ればいい。いいのだが、元来た方角が判らない。大体どっちの方角から来て、どっちの方角に行こうとしていたんだっけ。役に立たない思いつきだった。どこか電車の駅に着けばいいやと言う適当な性格が悔やまれた。あれこれ考えを巡らしてしていると、遠くから小さく「キーキー」と言う音が聞こえて来た。
「何だろう?」
音がする方に行ってみることにした。人工的な感じの音なので人がいそうな気がする。しばらく歩いて目の前に現れたのは、森の中にぐるっと巡らされた目の高さ程もあるコンクリートの壁と、さらにその上の頑丈な黒い金網だ。中から、「キーキー」言う音と、「バサバサッ」と言う音、それに何かを引きずるような音が混じって聞こえる。何かの施設のようだ。ジュラシック・パークの外壁みたい。私は入り口を探して壁沿いに歩いた。
壁に沿って歩いて行くと、「ゴーッ! バサバサッ」と言う音も聞こえる。向こうの方にコンクリートが切れた場所が見える。近付くと塀が切れていて階段があり、上った先には鍵のかかった頑丈な金網の扉があった。入り口か搬入口みたいな感じ。塀の中が見えるかもしれないと階段を上ってみた。
「何だぁ?」
思わずそんな言葉が口をついて出てしまった。
広い庭が見えた。周囲をぐるりと黒い金網に取り囲まれ、金網沿いには植木が植えられている。芝生や茂みが点在した庭に動くものがあった。丸いものと、そして…。
「鰐!?」
そう、鰐だ。アリゲーターかクロコダイルか判らないが、それほど大きくない鰐が一匹、庭を這っていた。這っていたと言うより丸いものを追いかけていたのだ。丸いものは意思を持つように庭中あちこちコロコロ転がって、茂みにぶつかって跳ね返ったり、金網近くまで斜面を登っては戻る。近くに来ると気付いた鰐は追いかけるが、速度が早くて鰐は追いかけるのを諦める。その繰り返した。丸いものには鶏が入っていた!
外側を透明プラスチックらしきもので覆われ、金属製のパイプが張り巡らされた頑丈な球体だ。中に鶏が二羽閉じ込められていて、どう言う仕組みになっているのか判らないが、鶏が中で走ると球体が転がるようになっているらしい。鰐は近くまで転がって来た球体を捕まえようと襲いかかるが、爪や歯が引っかからずにつるんと滑ってしまう。前方にあれば、追い掛けて捕まえるけど、球体は滑って前に飛んで行く。横や後ろに球体が来ると、ぶつかるまで判らず当たってから慌てて振り向いている。鶏の方は鰐から逃れようと球体の中で必死で走るのだが、二羽の息が合わずにあっちに行ったり、こっちに行ったり球体は庭を転がり回る。周りの金網や植木に止まったカラス達も、何をしているのか、自分達が預かるおこぼれがあるのかも判らず、戸惑いを隠せないようだ。

誰が何のためにこんなものを作ったのだろう?

しばらく見ていたが、鰐が球体に飛び掛った時には、手に汗を握って見詰める自分がいた。やっぱりつるんと滑って球体は転がっていった。もしかして、永遠に、はらはらどきどきさせるための施設なのだろうか?
足音が聞こえた。
私は慌てて階段を降りて足音の主を探した。警備員が歩いて来た。
「済みません!」
警備員は私に気付いて近付いて来る。
「道に迷っちゃったんです。駅に行きたいんですけど、どちらに行けばいいか教えて貰えませんか?」
警備員は最初疑いの目で私を見ていたが、不審者ではないと判断したのだろう。
「どちらの駅に行かれますか?」
「どこでもいいです」
「ちょっと待ってください」
警備員はそう言うと、ポケットから青巻紙赤巻紙を取り出して順に捲っていたが、しかめ面になった。
「バス停は黄巻紙に書いたっけ…。済みません、お客さん。バス停までの地図を忘れて仕舞ったので、そうしましたら、そこの竹立て掛けてある竹藪沿いに歩いていただくと、建物がありますから、そこで聞いてください」
「ありがとうございます。その焼けた竹薮の先ですね?」
「はい。建物の入り口を入って右手にカウンターがあります。そこが受付です」
「判りました。ありがとうございました」
警備員はにこりともせずに会釈する。
「あのぉ、ここは何の施設ですか?」

f:id:kusuda_fumihito:20180218112044j:plain


東京特許許可局保養所です」
「あぁ、あのバスガス爆発で新聞に載った」
「そうです」
風に乗ってピアノの音が聴こえて来る。
「恒例の、新春ジャズシャンソンショーですね」
警備員は微笑ながら言う。興味があったが今日は戻るとしよう。
「ありがとうございました」
「いいえ。お気をつけて」

にわとりが登場するお話を書いています。
 「いかりのにわとり」はこちら >>