12.事実は小説より奇なり

お話(電子書籍)を書いています、楠田文人です。

 「楠田文人」で検索 >>

奇妙な事件や事象の枕詞として使われる「事実は小説より奇なり」。イギリスの詩人バイロンの「ドン・ジュアン」に登場する言葉だそうですが、検証した人に拠るとどの部分を指しているのかはっきりしないらしい。ガリレオの「それでも地球は動いている」とか、ニュートンが落ちるリンゴを見て引力を思い付いたとか、子供の頃のワシントンが桜の枝を折ったことを謝ったとか、よくある噂の類かもしれませんが、小説が奇妙なものと認識されていた証拠と言えるかも。
日本でも、古くから怪異談や異聞があるように、人々は珍しい話や不思議な事実が好きでした。風土記には、地方の特徴的な話が集められていますし、平安時代鎌倉時代書物
「高い塔の上から鬼が市内を見下ろしていた。翌日、流行病いで多くの死人が出た」
とか、
「白い鳥が東の方に飛び去った。貴い方がなくなった」
などの話を読んだ記憶があります。
情報を得る手段のない時代、地方の村では希に訪れる旅人の話に村人は聞き入りました。自分が行ったことのない地方には、珍しいものや不思議な風習があると考えていて、何処其処の何某に拠ると何郡の何村ではこんなことがあったそうだ、と言う類の話が散見されます。
ネタとなった珍しい風習のある村の側ではどうだったんだろう。

 ここは山深い戸無村。伍作は前から気になっていたことを畑仕事の合間に父に問うた。
「おとう」
「何じゃ」
「何でおらの村は屋根から出入りせんとあかんのじゃ?」
「いかんか?」
「先達ての旅の人も言うとったじゃ。この村の者は、どないして一階に入り口を作らずに屋根から出入りすんのかと。おらは小さい頃からそう言うもんじゃと思うておったが、あの旅の人が『けったいな村じゃ!』と驚いてたのを見て初めて知った」
「いかんか?」
「そら冬の大雪の時は屋根まで雪が積もりよるから、屋根から出入りすりゃいいが、夏に雪はねぇ。お婆なぞ、屋根に昇るのが億劫じゃて、家から出よらん」
「のう伍作。蟻の家を知っとるか?」
「蟻? 地面の下に住んどる」
「蟻の家の出口は一番上にある。それこそ大昔っから蟻は屋根から出入りしとるがな。おかしなこっちゃねぇだ」
「うぐっ!」
 おとうは得意満面の笑顔を浮かべている。
「中には一度も表に出ぬ蟻もおるらしい」
 食べ終わった弁当を包み、お茶を飲みながらおとうが言う。
「お天道様を拝まん蟻がおるのか?」
「そうらしい。だがな、吾作、お天道様が嫌いな生きもんは仰山おるぞ。梟、狼、幽霊」
「幽霊は違うと思うぞ」
「お天道様を拝まなくても生きて行けるっちゅうこっちゃ。夏はほれ、お天道様なぞ拝まずに蔵にいた方が涼しゅうてええ、お婆も言っとるじゃ」
 確かにそうだ。夏は蔵の中が一番涼しい。それどころか冬は暖かい。いいことを思いついた。
「おとう」
「何じゃ? ずずっ」
「一年中蔵で暮らしゃ楽じゃのぉ。暑いんも寒いんも気にせんでええ」
「蟻の家は蔵みてぇなもんじゃ」
「雨に濡れることもねぇ」
「そうだな」
「おとう、うちも家を土ん中に作らねぇか?」
「ずずっ」
 おとうは難しい顔をしてお茶をすする。
「稲刈りが済んだら穴を掘ろう」
「お婆がなんちゅうかな」
「そんじゃ、まずは俺だけ穴の中で暮らすことにするだ」
「そんならええじゃろ」

f:id:kusuda_fumihito:20170922185058j:plain

【土籠りの戸無村】
 戸無村は豪雪地帯である。真冬ともなれば五間(一間は 1.818m)程も雪が積もり、家屋は屋根まで埋まってしまう。そのため出入口を屋根に作りかんじきを履いて屋根から出入りする風習がある。元々、村人は冬になると家に篭っていた。室内は寒く薪を焚かねばならないが、地中は一年中温度が一定しており、夏涼しく冬暖かい。在る者が地中に穴を掘りそこで暮らすこと思い付いた。
 穴の入り口は大抵土間にあり雨や雪でも楽に出入り出来る。最初のうちは若者が興味本意で穴を掘り家族は見守るだけだったが、一人また一人穴に入ってみてその心地好さに気付き、家族全員入れるように穴は掘り進められて行った。
 村人はある事実を発見した。地下なら広くしたければ深く掘ればよく、土地争いは起きない。こうして人々はどんどん深く掘り進み、地下の生活を充実させていった。現在ほとんどの家は地上がせいぜい三階なのに対し地下数階まで部屋を作っている。それぞれの家々地下何階まで掘っているか誰にも判らないため、村長が地下階台帳を作るべく村人を集めたが、激しい反対に遭い断念したと言う。
 正田家は長年地下を掘り進めて来た家の一つである。その地下はくまなく歩くためには三日掛かると言われている。これまでに二名地下に入ったきり戻って来ない。希に地下で知らない人に出会うこともあると言う。
 今年も谷地ヶ峰が初雪を頂いた。雪が積もり始め、穴掘りが本格化するのも時間の問題だ。